「これから事務所を一緒に作っていく上で、
新しく誰が来てくれるか」ということは
リンクスにとっては将来を決める特に重要な要素
どんな大学生だったのですか?
同志社大学の法学部に入学したのですが、アルバイトに明け暮れていましたね。
当時、祇園の鉄板串焼き屋さんで働いていたので、お店が始まる夕方頃に起きて、バイトが終わると大将に飲みに連れて行ってもらったり、家に帰ってもなんだかすぐ寝たくなくて朝まで映画を観たり、本を読んだり、、、そんな「5時就寝17時起床」の生活が身に染みついていましたからまともに大学の講義には行っていませんでした。
ちゃんと留年しそうですね(笑)
でも、恐ろしいことに当時の同志社って学期の成績表が実家に送られてたんですよ。だから、父ちゃん母ちゃんに単位が取れていないことがばれたら「私ら何のために学費払っとるかわからん(怒)」と即実家(広島)に強制送還になるので、サークルの友達や先輩に泣きついて、自由な昼夜逆転生活維持のため何とか単位だけは死守していました。
そんな放蕩学生さんはどういうきっかけで弁護士になろうと思ったんですか?
単位死守のため、法学部の先輩が大学の授業の補完をしてくれるサークルに入っていたのですが、そのサークルは実は部門がいくつか分かれていて(入った当初は単純に「過去問をもらえるサークル」だと思っていたので知りませんでしたが)、その部門の1つに法律相談部があったんです。
法律相談部は夏休みに弁護士過疎地域に行って法律相談をするということを先輩に聞いて、「なんかかっこいいし、何よりサークルの友達と旅行に行けるの最高!!」と思って入りました。
実際の法律相談では相談者の方から「法律的なこともだけど、話を聞いてもらってすごく気持ちが軽くなりました、ありがとう」と言葉をかけてもらって、一学生であっても自分が勉強したことが人の役に立つんだと実感して嬉しかったことをよく覚えています。
また、相談はサークルOBの弁護士先生に同席してもらって進めていくんですけど、その場での先生の立ち居振る舞いや言葉の紡ぎ方がひたすらかっこよかった(笑)。そんな先生方から聞くお仕事のお話の中には苦労話も楽しい話もあったんですけど、何よりも活き活きとお話されていたのが印象的でした。
自分が勉強してきたことが誰かの力になるのと同時に、将来こんな風に活き活きと仕事をしたい!と思ったのが弁護士を目指したきっかけです。
それで法学部を3年で卒業して飛び級で法科大学院(ロースクール)に入学したんですね。そのときの意気込みはどうだったんですか?
法学部のゼミの教授から「君、あまり大学で見かけないけど、、、」とロースクールへの推薦書を書いてもらうのにも苦労して入学したロースクールでしたが、最初は、ぶっちゃけ「もう1年遊べるドン!」(太鼓の達人)って感じで考えていました(笑)
実際、同志社大学ロースクールに入って、どうでしたか?
ロースクールには24時間の自習棟+個別ブースがあったんです。そこにはうず高く積み上げられた参考書や答案の山はもちろん、寝袋をとかを持参している人もいて、とんでもないところに来ちゃったなと思いました。
授業はもちろん朝からあるし(笑)、高い意識を持って勉強している方も多かったです。
僕自身、朝は苦手だし学部時代にじっくり醸成した「5時就寝17時起床」の生活習慣やだらけきった意識はそう簡単には変わらないので、とにかくロースクールでの生活は大変でした。
でも、迷ったときは常に困難で自分がカッコ良いと思う道に進みたいと思っていましたし、浪人をして臨んだ大学受験も思うような結果が出せなかったというのもあって、今度こそ自分が選んだ道で結果を出したいという気持ちで何とか乗り切りました(友達のモーニングコール付)。
その後司法試験を突破してリンクスに就職するわけですが、リンクスはどのようにして見つけたんですか?
東京三会主催の合同説明会ですね。働く地域や業務内容へのこだわりは特になかったので、募集事務所が多そうな合同説明会の中から事務所を探そうと思っていました。
ではリンクスに興味を持ったきっかけは?
合同説明会の事務所紹介文に「リーガルスタッフと共同して事務所を作っていく」と書いてあったところです。
弁護士業は孤独だと聞いていたので、そういった孤独感を感じない、自身の気持ちが明るくいられるような事務所が良いなと思っていました。
私自身、小学生からソフトボールや野球といったチームスポーツをしていたのもあって、悩みを共有したり、何かを達成したときはメンバーと一緒に喜んだりすることが心地良いと感じていたので、そういった気持ちに共感してくれる仲間を将来の職場にも求めていたのだと思います。
他にはどういったところに惹かれましたか?
リンクスの採用に対する真剣さを感じたところですね。
僕の就活の時期はコロナ全盛期だったのもあって、説明会はオンラインだったのですが、代表も含め当時の所属弁護士全員が待ち構えていましたよ(笑)
リアルだったら暑苦しそう(笑)
実際画面の向こう側からでしたが熱気は伝わってきました。
どうせならこれだけ熱心に面接してもらえるところに選ばれたいと思いましたね。
リンクスに入った今だからより感じられることですが、うちにいるメンバーは年齢も比較的若いですし、人数も他の弁護士事務所と比べても決して多くはない。だからこそ、「これから事務所を一緒に作っていく上で、新しく誰が来てくれるか」ということはリンクスにとっては将来を決める特に重要な要素の1つなんだなと。
100人いる事務所の中の1人を決めるのか、10人の事務所の1人を決めるのか、事務所に及ぼす影響の濃度が全然違うので自然と熱を帯びてしまいますよね。
あとは、弁護士もスタッフもみんないい人そうだな、なんでも聞きやすそうだなと思ったのが印象的でした。
今だから言語化できるところもあるんですけど、業務をこなすとき、もちろん自分で調べることも大事なんですけど、最初ってどこの何をどう調べたらいいかすらわからないことも多いです。でも聞けばすぐ分かることもある。
だから、「この先輩たちなら聞きやすそうだな」という感覚は大切だったなと思います。
京都オフィスで約2年半勤務して、今回東京オフィスに異動したわけですが、どういう経緯だったんですか?
東京オフィス出店のきっかけは元々先輩弁護士のご家庭の事情だったのですが、開設弁護士として赴任すべく真っ先に手を挙げました(笑)
うちは希望に沿わない転勤はありませんし、私のような3年目の弁護士であっても、新オフィスの開設弁護士を任せてもらえる土壌があるのはいいところだと思います。
京都オフィスでの勤務と何か違いは感じますか?
業務の内容にはぶっちゃけ違いは感じていません!
東京オフィスの設備は申し分ないし、リモートで京都オフィスとの連携も取れているので、孤独感を感じることもありませんし、勤務する箱が変わっただけという感じです。
ただ、やっぱり法律事務所が多い東京では、その中で選ばれる弁護士にならないといけないというのは京都の時より意識をしています。
でも依頼者様に寄り添って最善の解決策を提案するということは変わらないし、他の事務所に負けないように常に挑戦してきたいです。
野球で例えると、プレーをする球場が変わっても自分の最大限のプレーをするぞってマインドは変わらないという感じです。
じゃあ東京オフィスでその最大限のプレーをするために意識していることは何ですか?
お客様の期待を超えて、東京オフィスを育てていくことですね。
もちろん京都オフィスで勤務していたときも持っていた意識なんですけど、少し別の観点も加わっているんです。
東京オフィスって、一般的にお客様がイメージされている法律事務所のイメージとはかけ離れた雰囲気のようなんです。……一言で言えば、すごいオシャレなんです(笑)
それでいて東京駅や東京メトロからのアクセスも良いので、お客様にもよく来所していただけています。
来所されるお客様からは「すごく綺麗でおしゃれな事務所ですね!」とよく言ってもらえます。
その時には決まって、「こんな事務所での相談はさぞ洗練されているだろう」というお客様の期待をひしひしと感じるんです。
だからこそ、その期待以上の相談をしようと身が引き締まりますし、そんなオフィスで仕事ができていることに誇りと喜びを感じています。
それに、オフィスって、来所されるお客様やその職場にいる人が命を吹き込んでいくところだと思うから、開設弁護士として勤務している僕がまずこのオフィスを大事に育てていきたいなって思っています。
休日は何をして過ごしているんですか?
なんと関東にはセ・リーグの球団が3つもあるんです!
僕は広島出身なので生まれた時からのカープファンなんですが、先日は代表と京都オフィスで修習をしていた76期の四大事務所の弁護士と東京ドームに行って、カープを応援してきました。例によってカープは負けましたが(泣)
1日の流れ
出社
オフィスのソファに座りながら今日のスケジュールを頭の中でシュミレーションします。
スタッフとの打合せ
京都のスタッフとはリモートで、東京のスタッフとは直接ミーティングを行い、事件の打ち合わせをします。
ミーティングが終わったら、相手方に送る書面を作成したり、WEB期日に参加したりすることもあります。
昼食
お昼は少し時間をずらしてオフィスからすぐの京橋エリアで昼食をとることもあります。
法律相談
法律相談に臨みます。
午前の打ち合わせやスタッフとともに追加調査したことも功を奏し、無事受任できました。
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