interview01 滋賀大津駅前オフィス 弁護士 金井佑介 Lawyer / Kanai Yusuke 2020年入社 司法修習73期

リンクスはとにかく他と違うなと。
際立って見えた。

どんな大学生だったのですか?

早稲田大学の法学部に入学したのですが、4年の春学期終わった時点で9単位しかとれてないという状況でした。応援部に入っていて授業に行ってなかったので(笑)
1年の頃は試験には行っていたんですけど、問題文の中にわからない専門用語出てくるので、ひたすら答案用紙に校歌と応援歌を書けるだけ書いていました。
1年の秋に刑法で4単位の講義があったのですが、それを取れなかったので、その時点で5年生が決まってしまい、その時点でやる気なくしちゃって…

ぶっ飛んでいるとは聞いていましたが、想像以上ですね(笑)
そこまで注力していた応援部って、どういうものなんですか?

早稲田大学には、色んなスポーツの部活があるんですね。野球部とか相撲部とかスキー部とか。それらと同列で応援部があったんです。活動内容は、他の部活の応援に行くというものでした。神宮球場に野球部の応援とか両国国技館に相撲部の応援に行くとかですね。スキー部の応援の時なんかは、ゲレンデに学ランの奴らが現れてリフトとか乗っていましたね(笑)

早稲田大学応援部時代
早稲田大学応援部時代

そこまで応援部にハマっちゃったきっかけは?

きっかけは入学式で、校歌とか応援歌をやる応援部の先輩方を見て血が騒いじゃったんですよ。
それにきれいなチアの人もいましたし(笑)

ではそんな生活の中でなぜ弁護士になろうと思ったんですか?

中学か高校くらいの時に映画HEROとドラマのクロサギを見て、法律を知っていたら強いとか法律家かっこいいなとぼんやり思っていました。とりあえずそれで法学部に入りました。ただ、その時点で弁護士になろうとは思ってなかったんです。

どこかのタイミングで弁護士なろうっていうのがあったんですか?

4年の12月で応援部を引退するので暇になるんですね。そこでバイトとか始めようとしていたんですけど、当時は林修が一斉を風靡していたんですね。
それで、俺も多分あんな感じのカリスマ講師になれるやろと思って、小中学生相手の塾講師に応募したんです。だけど蹴られちゃって。
当時は自信に溢れていたんですよね。世間も知らなかったですし。でも1次面接で落とされて。そこで現実を知ったんですよ。そんなもんなんやと。結構響いたんですよ。

9単位しかなくて卒業できないという現実が目の前に現れたわけですね?

そうそう。その時点で最短で卒業するとしても、あと3年かかるって分かっていました。そうなると卒業しても新卒にならない。同期は普通に就職してる。何なら上場企業とか有名な企業に行ってるけど、それは多分自分は無理なんだと感じました。
そういうのを知って、これは普通に就活したらヤバイと思いました。そこで自分は法学部だし、元々法律家に憧れていたってことを思い出したっていうのも違うかも知れないんですけど、これはもうそっちの道を目指すしか無いなと。それで弁護士になろうと思いました。

留年生活での苦い思い出ってありますか?

苦労したのは、語学の授業です。1年生の授業に、5年生が混ざってるので、当然、超アウェーなんです。「あの人と関わったら、俺らも留年しちゃう」みたいな痛い人扱いを受けちゃうんです。まあ、でも、自業自得なので頑張って15回受けました。期が変わったりすると、1年生の授業に混ざっている2年生とかがいて、同じような境遇なので仲良くなったりとかはしましたね。

大学の卒業まではどのように勉強されたんですか?

大学の卒業は、授業も出席して、予備校にも通いました。予備校にも通い始めたので、大学の授業が難しいと感じたりすることは、あまりなかったように記憶してます。学問の対象として法学を深める大学の授業、試験対策をする予備校の授業という感じでした。
そんなこんなで、順調に単位は取得できて、大学は卒業しました。根がまじめなので。

それで今度は法科大学院を目指したんですね?

当時から京都志向がありましたし、合格率もたかったので、京都大学のロースクールに行きたいと思っていました。
それで、予備校の進学指導の担当者に、そのことを話しました。そしたら、「大学の成績からして、無理」と言われました。GPAがひどかったからです。成績表にFとかGとかHとかが並んでいたので、そうなりますよね。
というわけで、「このアホを受け入れてくれるのは、やっぱり早稲田だけか!」と思いまして、早稲田のロースクールを受けました。他には受けていません。
それで、運良く合格して、早稲田大学法科大学院での生活が始まりました。

早稲田大学法科大学院では、どのように勉強していたんですか?

早稲田のロースクールでは、授業の予習と復習を繰り返していました。自宅かロースクールにある自習室のどっちかにいるイメージですかね。当然、息抜きもしていましたけどもね。仲よくしてもらっていた仲間がとにかくよく勉強していたので、触発されてやっていました。
民事系の3科目が全然だめでしたので、ロースクールの選択科目で、それら3科目を多く取ったり、NHKの「生活笑百科」を見たりして、どこかしらでコツを掴もうとしていた記憶があります。
あと、公法系、特に憲法が好きでめちゃくちゃのめりこみました。判例を印刷して全文読んだりとかをしちゃいました。試験対策としては、とても反省しています。憲法に時間を費やし過ぎていました。他方で、長谷部恭男先生の授業を多く取ったりして、ご飯に連れて行ってもらったり、奨学金の返済免除申請に必要な書類を書いてもらったりしたことは自慢です!そして早稲田のロースクールは留年せず無事卒業しました!

その後、初の受験となる司法試験はどうなりましたか?

結局、民法と民訴法が攻略できずに、1回目の試験が不合格でした。開示された成績表からしても、明らかにその2つが原因でした。

そこから2回目の受験までは、どのように対策されたんですか?

仲間が合格している中で、だいぶ落ち込みました。親にも友人にも説明しづらいですし。
ですが、長いことクヨクヨしてても時間の無駄だと思い直し、不合格仲間を募って勉強を再開しました。
勉強を再開といっても、闇雲に勉強してもだめだと思ったので、なぜ不合格だったのかを分析するところからスタートしました。
その分析として、憲法はほどほどにすること、刑事系と行政法と会社法は実力を維持できればいいこと(会社法は現役時代に克服できていました)、民法と民訴法を得意にすることが挙がりました。
民訴法についてはコツを掴み始めていましたが、民法が全然だめでした。そこで、演習系で超基本の本をやり始めました。それまでの試行錯誤とその本がマッチして、コツが掴めるようになりました。
そのあとは、新たな課題を見つけて、それを随時潰していくことの繰り返しでした。例えば、過去問を解く中で、時間内に書き終わらないことが多かったので、答案構成に割く時間を半分にしたりとか、仲間に「字が読めない」と言われたので、綺麗に速く書くための時間を作ったりとか。
勉強に気持ちが向かない時期もあって、早稲田や高田馬場をふらついたり、渋谷に出かけちゃったりしたこともありました。散歩してたら1日が終わっちゃった日もありました。
なので、できるだけ決まった時間の電車に乗って、自習室に行くようにしたり、仲間と一緒にする勉強の時間を設定したりして、何とか踏ん張りました。
そんなわけで、何とか合格しました。成績表を見ても、民法と民訴法の成績がよくて、憲法の成績が悪かったので、再開時の戦略がうまくいったのだと思います。

リンクスはどのようにして見つけたのですか?

司法試験の1回目は落ちてしまって合格は2回目だったのですが、2回目の試験が終わった後に就職活動を始めました。当時は千葉にいたので、初めは東京の事務所を探していました。ただ、僕はロースクールのころから京都修習にすると決めていましたので、京都での就活も考えていたんですよ。東京での就活ももちろんしてはいたんですけどもね。それで、多分ひまわりか何かで見たんですよね。

ではリンクスに興味を持ったきっかけは?

ひまわりに書いてある内容が他とは違うなと。チームワークとかスタッフと共同してとか書いてありました。とりあえず他と違うなと感じたんです。
リンクス以外の他の事務所って、扱っている分野とかのアピールだったんです。そこで働いている人のことは書いてないし、スタッフのことなんて当然書いてない。リンクスは、そういったスタッフとチームワークで一緒に働くことが書いてありました、というかそれを全面に押し出していた。
それで良いかどうかはわからなかったけど、とにかく他と違うなと。際立って見えた。

それでどうしたんですか?

京都修習が決まった後、導入修習の時に京都で弁護士会主催の合同説明会があって、それに行ったらリンクスのブースがあったんですよ。
リンクスのブースには、リンクスの人が5人座っていて、前列に3人の先輩弁護士がいて、奥に藤川先生とスタッフが座っていた。実際にスタッフも説明会に参加していたんです。
採用の場にスタッフさんが居たりとかも他の事務所には無かった。それで「スタッフが活躍する」「チームワーク」っていう意味も何となく分かってきたんです。

後はどういうところに惹かれたのですか?

あんまり書かれたくないけど、藤川先生からキャラを見透かされている感じがあって、それがなんかちゃんと見てくれているなと、他に就活していた事務所ではそこまで見てくれなかったなって思いました。
しかも藤川先生の指摘する自分像が当たっているんですよね。そこまで俺を見てくれているっていうのと、そこまで分かった上でこいつでもいいって思ってくれるんならっていう所に惹かれていったんですかね。

現在は滋賀オフィスで勤務していますが、京都と滋賀で弁護士として働く上での違いってありますか?

事務所に弁護士が1人しかいないので、ネット見ている人はもしかしたら大津には金井しかいないって分かっているやろうし、ちょっとオフィスの顔っぽくなっているので、そこは何となくプレッシャーみたいなものは感じます。そこが違いですかね。
質問とはずれるんですけど、滋賀オフィスを地理的にどこにするか、それが決まった上でもどのビルにするかという問題もあって、藤川先生とも相談しながら滋賀オフィス開設に携わらせてもらえました。そこについての意見も言えるし、それを聞いてもらえるのはありがたかったです。

金井先生ってご結婚されて、今はお子さんもいらっしゃるじゃないですか?
休日は何をして過ごしているのですか?

趣味はあまり無いので、家族と一緒にいることが多いです。1人でご飯とかは行かないタイプなんで。でも妻とか子どもがいたら外食にも行く気にはなるんですよね。
子どもが生まれて間もない頃は、当然ですけど土日は1日家にいました。平日は、ほとんど妻が子どもを見てくれているから、何もできないですけど土日はできるだけ家にいてミルクを作ったりはしていました。
今は子どもも少し大きくなってきたので、土曜日は弁護士会の野球部の活動に参加したりしています。子どもも野球している父親を見たいだろうって勝手に決めつけてます。
それで、日曜は3人で家に一緒にいたり、妻が出掛けるってなれば僕が1日子どもを見ています。

弁護士会の野球部に参加
弁護士会の野球部に参加

1日の流れ

子どもを保育園に預けて出社

6時に起床して7時にはミルクとかご飯を子どもにあげて、8時に子どもを保育園に送る。そこから8時半~9時頃に出社し、朝一番のコーヒーを楽しむ。

スタッフとの打合せ

夕方の法律相談に備えて、スタッフと打ち合わせ。
スタッフに補充で調査してほしいことをお願いする。

大津地裁に出廷

大津地裁での刑事事件の公判に出廷する。
今日は被告人質問があるので若干緊張の面持ち。

法律相談

交通事故の被害者の方の法律相談。
スタッフの充実した調査の助けもあり無事受任。

入社を検討している方へのメッセージ

弁護士業に支障が出るのではないかと思うぐらい、色んなことを話してしまいました。
でも、そうした経験があって、今の自分がいるのだと思ってます。
このページをご覧頂いている皆さんにも、色んな経験や環境があると思います。そういうお話を聞かせてもらったりできたら嬉しいです!
ぜひぜひ応募してきてください!

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